かわべー半端帖

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カテゴリ:旅行 アジア( 6 )


2004年 11月 26日

チベットへ行ってみる 2

昨晩から風邪(知恵熱という噂も…)でダウン。
今日は会社を休んでしまい、寝込んでました。
熱も下がり、だいぶ回復…。ということでブログの更新。
11/23の続き。
前日麻婆豆腐発祥のレストランで食べた、激辛マーボーで朝から下痢の状態で起床。
朝6時にホテルを出ないといけなくて、起きれるか心配だったけど、心配しなくても便意をもよおし、4時過ぎには目が覚める。外人は入域許可を取るのに、建前上、ホテルとかを含めたパッケージツアーを組まないと行けなかった(いろいろ抜け道はあったけど、束の間の休みではそんな橋も渡れない)ので、同じような旅行者がいっぱい。日本人も数人いたが、意外なことに、中国へ留学に来ている人ばかり。通訳とかしてくれるかと期待したけど、あまりしゃべれない人ばかりでがっかり。外人ばかりのツアーなのに、英語での説明もなく、なんとなくみんなに着いていき、チェックインして、搭乗して、ラサについた感じ。ラサの空港は滑走路がばかでかくて、予想外。他キャリアではジャンボが駐機してあるぐらいだから。戦争に備えて、こんなに大きい空港をつくっているんじゃないかという思いが頭をよぎった。ラサは8月というのに、肌寒く、しかも大雨。そんな中、空港ターミナルまで200M以上歩かされる。ひどい扱いだ。他にも同じようにツアーとなっているグループが各々ターミナル内で集合しようとしているのだけど、大混乱。収拾がつかない状態で、うちのグループは荷物は出てこないは大量に迷子はでるわで結局一番最後に。大混乱が嘘のように落ち着きをとりもどした空港(だから迷子もみつかった)を出て、さぁ、バスに乗り込もうとするとそこにあったのは小型バス1台。もう一台あるのかと思ったら、これで終わり。無理矢理乗せようとするが、すし詰めでも乗れず、そのうちイギリス人らしき数名が怒りだし、結局全員降りて、代替バスがくるまで待つ羽目に。
ラサの市内まで100KMも離れているのだから、すし詰めで走るわけにもいかないし…。後にも先にも中国で抗議して「没有(メイヨー・駄目、ない、と言った意味)」ではなく、ちゃんと対応してくれたのは、これが最初で最後だった。まぁ、中国は敦煌に行ったのとあわせて、まだ2回しか行ったことがないので、よくわからないのだけど…   続く
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by kawapei | 2004-11-26 23:58 | 旅行 アジア
2004年 11月 23日

チベットへ行ってみる

リクエストいただいてたブータン、残念ながら行ったことありませぇ~ん。だって、ずっと鎖国状態で年間の受け入れ観光客数も決まっていて、パッケージ旅行のみ(今はどうなんだろう?)。サウジとともに、バックパッカーをしている限りは、縁遠い国かもしれない。老後にしっかり貯めこんだお金でパッケージツアーで行く予定の国です。で、ブータンに一番近いところと無理矢理話を持っていって(笑)、今日はチベットのラサに行ったときの話。休みは7日間。これでチベットに行くとなると、やっぱりラサぐらいしか無理だろうということで、その他はあきらめた。そしていつもいきあたりばったりで宿も取らない旅がほとんどだけれどもチベットは入域許可が必要だったので、成都の旅行会社とメールでいろいろとやり取りをして手配。でもなかなか最終のOKが出ないまま、ついに出発日となってしまい、取れてなければ、成都で「パンダと麻婆豆腐三昧5日間の旅」をするつもりで、出たところ勝負の旅。成都についてみたら、旅行会社で取れていたのは、往路の成都→ラサの片道のみ。帰りは現地の中国西北航空(英語名だとNORTHWEST AIRLINESでちょっと笑える)のオフィスでPUSHをしろと言われる。すぐに頭の中には、列にもならばずにカウンターに客が殺到し、大混乱の中、怒号が飛び交う中でどうしたらわからずに翻弄される自分の絵が想像できたけど、ここはいちかばちか行くしかない。でも帰りとれなければ、日本への復路の航空券も紙切れになっちゃうし、会社も始末書ものだろうなぁーと思いながらも、前進あるのみ。  続く。
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by kawapei | 2004-11-23 03:49 | 旅行 アジア
2004年 11月 21日

バングラデシュで人におぼれる

7年前の年末年始、日本人が全然いないところで年越しをしようと思い、候補を考えたのだけど、そのころにはすでに、地球の歩き方がほとんどの国をカバーしていて、ガイドブックがない国で尚且つ6日間の休みで行ける国となると、選択肢が自動的にこの国しかなくなってしまい(笑)、初めてイスラム圏で年を越すことに。
首都というのに、全然外人らしい人間をみかけない(帰国後知ったけど、現地在住の外人は中心部の下町にはあまり行かないらしい)この国では、町を歩くのも、まるで有名人のようにじっとみんなに見詰められる。まるで「見返り美人」のような気分である。好奇心旺盛の人が多いのか片言の英語で"What your name?"とか"What country…”みたいな感じで話しかけてきて、こちらも答えるのだけど、なんとそこで話は終わりなのである。しばし沈黙。なんだか気まずい雰囲気の中でこっちが"What your name?"と同じ質問を返しても、返事してくれないほうが多い。なんで???で、そんな気まずい会話なのに、通行人も遠巻きにして見守ってたりする。
こんな調子なので、最初はおもしろかったけど、数時間のうちに苦痛に。だって1時間に平均5人ぐらい声をかけられるんだから。で、本当に英語をしゃべれる人が登場して、ようやくこっちもいろいろバングラデシュのことを訊けるかと思ったら、20人ぐらい集まって、公園のベンチでその人を通訳に一方的な質問会。「日本人は車を1人何台持っているのか?」「日本の象は大きいのか(日本に象はいませんというと勝ち誇ったようなみんなの笑顔が!)」「空手は何段か(日本人はみんな空手をしていると思っている)」そんな質問が続くのであった。日本人がいるところで年越しすればよかったと後悔するほど人に疲れた旅だった。ただでさえ、人口密度の高い国で、町中、人があふれていて辟易なのに、ダブルパンチなのだから。
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by kawapei | 2004-11-21 23:31 | 旅行 アジア
2004年 11月 13日

死海に浮かぶ

イスラエルに行ったからには見逃せない観光スポットと言えば、やはりここ。
そして数少ない紛争の歴史を考えずに気軽に楽しめるはずだったけど、地獄を味わうことに…。
死海に行った以上、みんな浮かんでみたいわけで、ただそれ以上何もすることもないので、せいぜい30分もあればいいだろうということで、タオル・海パン・カメラだけを持ってでかけた。観光客は全然いなかったけど、すぐ近くにはシャワーもあったりして、受け入れ態勢はひととおり整っている。海パンに着替えて、さぁー記念写真を撮りに行くぞ、と水に踏み込もうとするといきなり、裸足の足の裏が切れた。そう、水辺は塩が結晶化していたのである。「痛ぇ~」と思いながらもそのまま水に入って、今度は「痛ぇ~!!!」と叫んでしまった。忘れてました。海水よりも濃い塩水なのである。死海に浮かんだ嬉しさよりも、痛みのほうが記憶に残っている。30分どころか、記念撮影だけをして、3分で切り上げて,帰りました。まさしく「死海」だった。
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by kawapei | 2004-11-13 10:38 | 旅行 アジア
2004年 11月 10日

外出禁止令2

昨日の続きです。
怖いもの見たさもあって、出国という選択肢は全く考えず、とりあえず
地理的な面から考えると南部が一番安全だろうということで、一路、南を目指した。
近すぎず、遠すぎずという選択肢から、鉄道の南の終着地マータラで
知り合った少年の部屋を間借させてもらうことにした。
民家だし、市内からはやや離れているし、食事も用意してもらえる、
しかも、コロンボに移動しなければいけない事態になっても、始発駅なら
満員で乗れないということもないだろうし、いつ来るかわからない
電車を待ちつづけなくてもいいだろうと。
疎開場所も決まったので、本来の目的であった、文化三角地帯といわれる
仏教遺跡めぐりを駆け足で済ませて、またコロンボに戻り、そこからマータラに移動した。
コロンボに向かう幹線もバリケードを設置した銃を構えた検問が何度もあり、
緊迫感いっぱい。「ニュースで見る世界だよー」と思いつつ…。
コロンボから出る長距離バスも列車も地方に脱出する人間ですごい混み様。
列車は屋根まで人が乗っていた。
「どうしよう?屋根の上か?」とビビっていたら、親切な人が車内にスペースを
つくってくれて、呼び寄せてくれた。
4時間立ちっぱなしだったが、緊張感がずっとただよっていた。
そして選挙が行われ、やはり政権は変わった。
北部のタミル人が実質的に支配する地域では、選挙にはいかないように、反政府組織が
呼びかけている(自分の意志でボイコットしているのかはわからなかった)ので、
北部地域の投票率は0.1%だったりして衝撃的。
同時に外出禁止令が発令された。
町中からはずれたところだったこともあり、30M先にあるビーチに出て、
日光浴をするのは可能。
そこまでは見張れないらしい。「外出しないといけないときはどうしたらいいの?」と訊くと
「それは許可を取りに行かないといけない」という。「でも外出したらダメなんでしょう?」と
訊くと「確かにだめだけど…」と要領をえない返事。
結局、家族共々解除されるまでの3日間待ちつづけることに。
3日間こんな生活でした。朝起きる→ビーチに行く。ビーチに涼みに来ている牛達以外
一人占めのビーチで日光浴。→砂の温度が上がる11時前には、牛が、各自の家に
引き上げて行くのでいっしょに宿に帰る→お昼ご飯→宿の三男坊と
おはじきのゲーム「キャロン」で対決(勝てば、庭に茂る20Mもあるココナッツの木に
登ってくれて、新鮮なココナッツを丸ごと1つゲット、負ければ
日本から持ってきているボールペンを1つあげる。三男坊以外とはレベルが違いすぎて、
毎日三男坊とばかり)→テレビでいつ終るかもわからないクリケットを家族とともに観戦。
夕食→寝る という生活。
トイレは一応水洗だけど、流すたびに貯水タンクに住んでいる(?)カエルたちが
大量に出てくる。
部屋は空調のために壁には小さい穴が空いているのだけど、夜は蛍が迷い込んできて、
真っ暗な部屋の中を飛び回るので、なかなか幻想的。
でも南アジア独特の動きの鈍い(逃げない)でかいゴキブリが暗闇を
うごめいてるわけで…。違う意味で蚊帳には大変お世話になりました。
ゴキブリ怖い~。
大自然を満喫したここでは、結局選挙前からも含めて、合計10泊することに。
こうして、安全な田舎にいたことで、外出禁止令による不安も対して感じることなく、
平和に3日間を過ごしたのだった。
そして外出禁止令が解除されてからも4日間夜間外出禁止令は続いたものの
心配された選挙に伴う内戦もおこらずにまた旅行に復帰できたのだった。
後日会った日本人に訊いた話。外出禁止令中にどうしても食料を調達しなければいけなくて、出たらしいのですが、兵士にいきなりホールドアップさせられたらしい。
動揺して、「ヒィー」という言葉以外一言も発せずに腰が砕けてしまったそうです。
その後外人とわかり宿まで送り届けてもらったらしいです。
僕だったら、ホールドアップされたら、ちびってしまいそう…。
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by kawapei | 2004-11-10 01:28 | 旅行 アジア
2004年 11月 09日

外出禁止令

イラクで非常事態宣言が出た。これにより外出禁止令とかも布告できることになるらしい。
僕も外出禁止令を経験したことがある。
遭遇したのは旅行中のスリランカ。約10年前の学生時代の夏休み。
ビザなしで滞在できる1ヶ月間ぎりぎりスリランカに滞在したけれど、ちょうど十何年ぶりに政権が交代するかもしれないという選挙があるときだった。一応某大学の政治学科に在籍してたこともあり、初めて外国の選挙を見れることを楽しみにして入国した(もちろん旅のメインは観光、あくまでもおまけ)。ところが、入国してから盛り上がる選挙戦を横目に観光していて、出会った青年海外協力隊の人から「選挙結果次第では内戦になる可能性がある」と訊かされる。「そんなこと日本の新聞全然書いてなかったよ!!!」と思ったもののどうしようもなく、アドバイスを求めると、①選挙期間中はコロンボにはいないほうがいい②かといってコロンボから遠すぎると万が一のときに日本大使館の支援が受けられない③現地日本人会からは救援機についての検討を大使館に依頼済みであること④選挙後は最低3日間は外出禁止令が発令されるのは確実 ということだった。すでに北部のタミル人とは戦闘中だから、内戦状態なんだけど、さらに多数派のシンハラ人同士でも戦闘になったら、この狭い国土で逃げるところって…。
それから選挙の日までの半月間、観光しながら、選挙戦を見て(選挙カーにも乗せてもらった!)、さらに選挙中の避難場所を探すおかしな旅行に…。 続く
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by kawapei | 2004-11-09 08:17 | 旅行 アジア